【総合商社】素晴らしき課長という職位👨~Aさんの天職~①
どうも、ドチです🐱
少し間が空いてしまいましたね。
今週も始まりましたね〜🌺読者のみなさん、また金曜までいっちょやったりましょう✨イェイイェイ✌️
さて、先週、ちょっと昔の上司とご飯食べに行きましてね🖐
すでに引退されて、過去にお付き合いのあったお取引先から頼まれて今はとある会社の非常勤取締役を務める方でね👔
ただ、それもガチなシゴトでは当然なく、親の介護はしつつもある程度悠々自適、的な感じ🏌️♂️🏝️🍹✨
現役の時は部長級の職位までのぼった方で、人格的にもとても尊敬でき、部下想いの大好きな人でした。
本日の記事は、そんなAさん(👴)の想い出話を基にした内容になります。
彼のキャリアにふれつつ、もっとも充実した時期と振り返る課長職時代の話をします。
それこそ、ワタシのような課長補佐的なポジションにいる同年代の社会人の方に読んでもらえればと🙏
それでは早速見ていきましょう🚀(記事の長さ:普通(2-3分程度))
目次
- Aさんのキャリア👦~新人・若手編~
- 続・Aさんのキャリア👱♂️~中堅・課長補佐編~
1. Aさんのキャリア👦~新人・若手編~
元上司ではあるものの、客観的に彼のキャリアを解説していきます🎤
入社時とある営業部門に配属された彼は、まず最初の2年間を本社で過ごすことになります。
他の新入社員同様、もちろん、まだビジネスの「ビ」の字もわからない状態でスタートしたわけですが、
ご本人いわく、「のんびりした性格」かつ地方旧帝大出身ということもあり、都内の大学出身者にくらべてそんなに向上心もなかったので、
厳しい本部の上司・先輩からボコボコにされてしまいます👦💦
ま、そもそも当時(80年代後半)の総合商社なんて、「○ね💀」が「こんにちは😉」っていう挨拶みたいなもんですが🖐️
そうして、早々に「落ちこぼれの烙印」を押されてしまいます👦❓
そして、2年目の終わりころに、実質、左遷的な意味合いで、彼の出身大学の都市にある支社に飛ばされました✈️
それの異動にかんして、彼はこうおっしゃってます。
👴「なにがなんだか分からないまま飛ばされる形になったが、あの異動がなければ潰れてたな〜😅」
支社での勤務生活が始まりました💼
当時はバブル崩壊の始まりの時期でしたが、まだ、現在よりも日本での仕事がたくさんあった時です。
人口もまだ増え続けていた時代📈
そこで、彼はその時の上司から金言を与えられたと言います。
上司👴「A君、まずはお客さんが何を求めているかを、自分の足で探しに行ってごらんなさい」
本社で2年間、デスクワーク中心の生活で、担当商品についても手ざわり感のない日々を送ってきたAさんにとっては、
とても嬉しい機会だったと言います。
左遷されたとは言え、彼の配属された本部の支社ポジションだったので、担当商品はあまり変わりませんでした。
そこからAさんは、知り尽くした街をかけめぐり、必死でアポを入れて自由にお客さんに会いに行きました🏃♂️💨
とっても昔ながらな話ですが、、
一つの取引先では、相手方の担当者が出社する前からオフィスで出待ちして、大きな声で挨拶したり☀️🗣️
👦「昨日、教えていただいた話をまとめて、関係する原料の相場の資料を作ってきました」
とかナントカ言いながら、だんだんと通える取引先候補の会社が増えていったのです⤴️
そんなこんなで、確実に彼は信用を積み重ねていき、初めて、工場に招かれて見た商品の生産ラインを見せてもらった時のことは今でも忘れないそうです。
👦(わぁ〜、これが本社の机の上の資料で読んだ○○かぁ〜😳✨)
一瞬、脱線しますが、、
もし、若手社会人の読者さんで、この時のAさんのように「手ざわり感のない仕事」と思うことを今していらっしゃったら、忘れないでほしい。
実際に現場やモノを目の当たりにした時の感動は、それまで頑張った分だけ大きいものと✨
エラそうなことを言ったのですぐさま話を戻します↩️💦
支社で3年間、規模や金額こそ決して大きくないにせよ、若くして商売をつくり、地方の企業から信用を得た彼は、
いよいよ本社に戻ることになりました🏢
2. 続・Aさんのキャリア👱♂️~中堅・課長補佐編~
パワーアップして本社に戻ったAさんは、周りだけでなく、ご自身としても成長を実感していました。
社員数もかぎられる地方の支社で、情報収集から分析・提案まで自分でして見事に契約を締結🤝
そこから契約書の作成をして船やトラックの手配まで1人でやって、ちゃんと輸出先の国の取引先から代金を回収するまで、1人で回す経験を、
1つの商品を通して、規模こそ小さくも最初から最後まで完結してやった担当者は周りにはいなかったのです。
そもそも、所属先の本部で、そういう小さな物流商売自体があまり存在せず、
物流でも投資でも、周りの同期や若手社員は、まだまだ「上司・先輩のお手伝い」の域を出なかったのです💦
👱♂️(あれ…?俺、けっこうイケてるのかも?☺️💦)
その感触のとおり、それまでに支社で成功体験を積んでいたAさんは、そこから躍進していきます💪
入社10-11年目に差しかかるころに、アメリカ駐在が決まります✨🇺🇸✨
今もなごりはあるのでしょうが、、昔の総合商社は特に、アメリカ駐在はエリート組の出世コースでした🕺👔
もちろん、所属している部門や、その部門の商社のなかでのポジションにもよりますが。
たとえば、おそらく、おそらくですよ❓資源関連の社員なら🇦🇺オーストラリア🇦🇺駐在員(特に三菱商事や三井物産)とか、
石油・天然ガス(LNG)なら中東の拠点たる🇦🇪ドバイ🇦🇪の駐在員とかとか。
そういうのがあるのですが、でも、やっぱりどの商社のどの部門も、共通して言えるのはアメリカ駐在はちゃんと「コース」なんですよね☝️
Aさんは最初にニューヨークで2-3年現地法人で、その後、他の都市に移動してまた2-3年、今度は事業会社に出向します🏢→🏭
そして、特にその出向先で、非常に大きな苦労を強いられます🚼💦
債権焦付きですね💸
つまり、商品の販売先から、代金が回収出来ず、その販売先が倒産する、という事態に複数回見舞われました💼🏃♂️👔💦
それでも、事業会社の営業部長として、代替となる販売先を見つけるために全米をかけまわり🚗✈️、
少しずつ投資先の業績を軌道に乗せ始めることができ始め、最終的にはしっかり認められて本社に帰ることになりました✈️🇯🇵
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いかがでしたでしょうか❓
…書いてたら長くなってしまい、全然タイトル回収出来てないですね💦
ただ、長く仕えた上司であり、これまで何度も聴いてきたAさんの話、なかなかはしょれずてじて。。
次回の続編では、ようやくタイトル回収となる課長編👨にふれることになりますので、どうぞお楽しみに🙏
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